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大阪地方裁判所 昭和40年(タ)41号 判決 1970年2月23日

原告 須山秀子(仮名)

被告 須山秋子(仮名)

主文

原告および須山愛吉と被告との間の昭和二六年九月一四日付守口市長に対する縁組届によつてなされた養子縁組のうち、原告と被告との間の養子縁組は無効であることを確認する。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は、「原告および須山愛吉と被告との間の昭和二六年九月一四日受付にかかる養子縁組届出は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

「(一) 原告は須山愛吉(昭和三六年六月一四日死亡)の妻であり、被告は下川正一とその妻下川まつとの間の二女であるが、原告・愛吉夫婦と被告との間に、右下川正一、同まつを代諾権者として、昭和二六年九月一四日付をもつて大阪府北河内郡○○町長宛に養子縁組の届出がされた旨の戸籍上の記載がある。

(二) しかし、原告は被告と養子縁組をすることに同意したこともなく、また、右の届出をすることを承諾したこともない。右は、須山愛吉とその妾であつた梅田政子が原告の名を冒用し、かつ、右下川夫婦を欺いて、ほしいままに届け出たものであるから、これが無効確認を求める。」

と述べた。

二、被告訴訟代理人は、「原告の請求を業却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁および主張として、

「(一) 請求原因(一)の事実は認める。同(二)の事実はすべて争う。

(二) 須山愛吉には養子須山貞夫があり、原告と右貞夫との間には戸籍上の養親子関係はなかつたが、事実上親子同様の関係があつた。ところが、原告は、昭和一六年八月一五日以来夫愛吉と事実上夫婦関係を絶ち、貞夫と共に守口市○○○○町○丁目○○番地に別居するに至つたので、愛吉は梅田政子と事実上の夫婦関係を結び、門真市大字○○△△番地の愛吉の本宅で爾来約二〇年間右政子と共に夫婦生活を営んできた。しかしその間、愛吉と政子は、原告らに生活費を補助しながら、原告らとの仲を円満に維持してきた。

(三) 右のように愛吉には養子貞夫がありながら、同人は原告の子然として別居生活をしていたので、愛吉と政子は自分たちの老後のことを考え、被告をその出生直後から養女として貰い受けて養育してきた。そして昭和二六年九月縁組の式を挙げたが、政子は愛吉の事実上の本妻でありながら入籍していないため、愛吉は、戸籍上の妻である原告の承認のもとに大阪家庭裁判所に対し養子縁組許可の審判を申し立て、同裁判所における下川夫婦、愛吉、および原告らの取り調べを経て同年九月一〇日付許可の審判を得た上、同月一四日守口市役所において養子縁組(以下本件縁組という。)の届出を済ませたものである。そして、原告は戸籍上の養母として前記縁組式に列席し、本件縁組届をするについても何の異議もなかつた。

(四) また、昭和三六年六月一四日愛吉が死亡し遺産相続の問題が起こつた際、原告は、貞夫と通謀し、被告に対する親権を行使して、愛吉が生前被告に対し十分な贈与をした旨の虚偽の証明書を作成し、翌三七年七月三〇日、相続財産である数千万円相当の不動産全部を貞夫に単独の相続登記をさせた。この点からしても、原告は被告との本件縁組の無効を主張することはできない。」

と述べた。

三、証拠として、

(一)  原告訴訟代理人は、甲第一ないし第一四号証を提出し、証人須山貞夫、同須山金次、同下川正一の各証言および原告本人尋問の結果を援用し、乙第九号証の一、三のうち須山愛吉作成部分の各成立は不知、同須山秀子(原告)作成部分の各成立を否認する、同第一六号証の一、二、第一七号証の各成立は不知、同第一八号証の成立は否認する、その余の乙号各証の成立は認める、と述べ、

(二)  被告訴訟代理人は、乙第一、二号証、第三号証の一ないし三、第四号証の一、二、第五ないし第八号証、第九号証の一ないし三、第一〇ないし第一五号証、第一六号証の一、二、第一七、一八号証、第一九号証の一、二、第二〇号証の一、二を提出し、証人梅田政子、同須山美子、同田代扶美の各証言を援用し、甲号各証の成立を認める、と述べた。

理由

一、公文書であつて成立を認める甲第二ないし第五号証、同第一一ないし第一四号証、乙第六号証、同第九号証の二、同第一一号証、弁論の全趣旨によりいずれも成立を認める乙第二、第五、第一〇号証、同第九号証の一、三(ただし、第九号証の一、三についてはいずれも原告作成部分を除く。)、同第一九号証の一、二、同第二〇号証の一、および守口市長職務代理者作成部分については公文書であることから、原告作成部分については弁論の全趣旨によりその全部の成立を認める同号証の二、ならびに証人須山貞夫、同須山金次、同下川正一、同梅田政子、同須山美子、同田代扶美の各証言および原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)  原告(明治三五年一二月二八日生)は、二一歳のころ須山愛吉と結婚し、門真市○○△△番地に同居して夫の営む燃料と米穀の商いや農業を手伝いながら暮らしてきたが、二人の間に子がなかつたので、愛吉の遠縁にあたる須山貞夫(昭和五年一一月一八日生)を生後まもなく養子として貰い受け、昭和八年一二月一四日養子縁組の届出をした(もつとも、原告夫婦の婚姻届がされたのは同一二年四月一四日であつたため、貞夫は戸籍上愛吉だけの養子となつている)。

(二)  ところが、昭和一二年ごろ愛吉は遊廓で梅田政子を知り、同女と深く付き合ううち、同一四年ごろから同女を妾として愛吉の母ちか等が住みまた原告夫婦の住居にも近い守口市○○○○町○丁目○○番地の家に住まわせるようになつた。原告は妻としてこのような立場に耐えられず、同一六年八月ごろ貞夫と共に夫の許を出て、大阪市○○区内の貞夫の実父関戸寅蔵方に一時身を寄せた。原告は夫の家を出た後何回かの呼び戻しにも応じなかつたので、梅田政子が愛吉やその親族の諒解のもとに同家に移り住み、以来愛吉と事実上の夫婦として同居生活をするようになつた。その後まもなく、原告は愛吉の指示によつて愛吉方から五〇〇メートル位離れた守口市○○通○丁目○○番地の現在の住居に貞夫と共に移り、これまでのように愛吉の田畑の耕作を続けながら、愛吉から食扶持などの仕送りを受け、貞夫も愛吉が戦時中一時していた○○○○業の手伝いをしたりして、愛吉や梅田政子との間に特に表立つた争いもなく過ごしてきた。その間、原告の妻としての籍は同人の希望に従つてそのままにされ、原告は用事があれば愛吉方へ行く程度であり、一方愛吉も原告の家へ来ることはあつたが、泊つてゆくようなことはなかつた。

(三)  被告(昭和二〇年一〇月六日生)は、愛吉方の向いに住んでいた下川正一、同まつ夫婦の二女であるが、政子は、被告が生後一箇月位経つたころからよく自宅に連れて来て愛吉と共に可愛がつていた。先に述べたように、貞夫は愛吉の養子であつたにもかかわらず、原告方に同居したままで愛吉や政子と生活を共にすることはなかつたし、愛吉と政子の間にも子が生まれなかつたので、愛吉は、老後のことを考え、政子の希望を容れて昭和二六年夏隣家の田代弥助、同扶美夫婦の世話で下川夫婦の承諾を得て、被告を養子として貰い受けることにした。縁組の披露は、そのころ愛吉方で愛吉、政子、被告、下川正一、田代弥助のほか、愛吉の姉須山美子、同兄嫁の須山いと等親戚の者が集まつて行なわれた(ちなみに、原告が列席したとの心証を惹くに足りる証拠はない)。右縁組について、政子は被告を愛吉と自分との養子としたものと考え、これを世話した前記田代扶美も原告との縁組とは毛頭考えていなかつたもので、右の披露もそのような趣旨でなされた。被告の実父である前記正一としても、被告を養子にやるについて、愛吉の養子にするということ以外、養母となるのが原告か政子かの点については深く考えていなかつた。

(四)  愛吉は、昭和二六年九月一〇日大阪家庭裁判所の許可の審判を得て、同月一四日守口市長宛に愛吉および原告と被告との間に被告の父母下川夫婦の代諾により養子縁組をした旨の届出をした。右届出にあたり、愛吉は下川正一からその手続の一切を委ねられたが、原告には全く無断であり、下川正一はともかく、原告が家庭裁判所での許可審判手続にも、出頭し且つ審問をうけた形跡はない。その後、昭和三一年頃に至り、原告は戸籍謄本を取り寄せた機会に、自分が戸籍上被告の養母になつていることを知るに及び、愛吉に対し、原告の承諾がないのに戸籍上右のように記載されている理由をただすと、愛吉は、自分がやつたことだからお前には迷惑はかけない、そのうちうまく仕末するから辛抱して待つように、と言つたので、原告としても、愛吉がそのうち何らかの処置をとつてくれるものと思い、それ以上事を荒立てることはしないでいた。

(五)  昭和三六年六月一四日愛吉は死亡した。これより先の同年四月一八日ごろ、愛吉は病床に姉須山美子、甥須山晃、政子、原告、貞夫および被告らを呼び寄せ、死後の遺産につき、明確な分配はしないが醜い財産争いをしないよう、貞夫は長男だから少しよけいにやつてくれ、また被告は政子と、将来仲良くやつて貰いたいとの趣旨を述べたことがあり、原告らからはこれにあらがう声はなかつた。葬儀は貞夫を喪主として行なわれたが、前記のように、同人と原告は共に愛吉方を出て以来愛吉が死ぬまでの約二〇年間再び愛吉とは生活を共にすることがないままに終わつた。これに対し、被告は愛吉の養女となつて以来愛吉および事実上の養母である政子の二人に養育され、約一〇年間に亘り愛吉との間で親子としての共同生活を続けてきたものである。

(六)  愛吉の死後、貞夫は愛吉と従兄弟の関係にある須山金次や、原告および前記下川正一らと相談し、原告と被告が愛吉の遺産につき生前に十分の贈与を受けているため相続分がない旨の証明書(乙第二〇号証の一)を司法書士に依頼して作成提出し、右遺産を貞夫独りが相続したものとして昭和三六年七月三一日貞夫の単独名義に所有権移転登記をした。右証明書中被告名義については、原告が被告の親権者母として代理した旨記載されている。その結果、貞夫および原告と政子および被告との間に相続財産をめぐつて紛議を生ずるに至つた。その間、昭和三七年四月三日原告は大阪家庭裁判所に対し被告(実父母下川夫婦を法定代理人とする。)を相手方として本件縁組を無効とする調停を申し立て、同年七月一六日相手方との間に右無効を確認する旨の合意が成立したが、梅田政子が利害関係人として参加するに及び被告も本人として本件縁組が無効とされることに反対の意を表明するに至り、同三九年四月一七日家事審判官西尾太郎は右合意は相当でないとして審判をせず右調停を不成立として終了させた。

以上の事実が認められ、証人梅田政子の証言および原告本人尋問の結果中右認定に反する各部分は前掲その余の各証拠に照らして信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

二、右事実によれば、愛吉および原告と被告との間の本件縁組については、愛吉に縁組の意思も届出の意思もあつたことは明らかであるが、養親側当事者の一方である原告の関知しないところであり、右届出当時原告には被告を自己の養子とする意思もなく、かつ、届出の意思もなかつたものとみられるから、民法八〇二条一号により少なくとも原被告間の養子縁組は無効と言わねばならない。問題はそのことが、本件縁組全体を無効ならしめるかであるが、この点は後出四において詳説する。

三、ところで、前認定の事実によれば、原告は愛吉の死亡後その遺産を貞夫のみに相続させるため、被告に相続分がないことの証明書を作成するにつき、自らその法定代理人親権者母として被告に対する親権を行使したものと目すべきであるが、他方右証明書作成の当時、原被告間に親子らしい共同生活がかつて全くなかつたことはもちろん、原告としては被告との間に精神的つながりを基礎とする実体的な親子関係を生じさせるつもりも全然なく、むしろその意図は親子としての精神的連繋に背馳するものともみられるのである。そうである以上、かりに無効な身分行為の追認ということが、一般に意思欠缺による無効な縁組の場合にも認められるにせよ、養親子関係の設定ということがらの重大性に鑑みるときは、追認の意思表示の相手方の問題は暫らく措くとしても、右のような原告の外形的行為にあらわれた意思をもつて追認があつたものとすることはできないとせねばならない。これを、前認定の本件縁組がその届出前家庭裁判所の縁組許可審判をうけたこと、および届出後愛吉が死亡するまでの間において原告はその届出の事実を知りながら強くこれが不当を詰り、是正を迫る挙に出なかつたことなどをあわせ考慮に入れても、未だ黙示の追認があつたとすることも困難である。蓋し家裁の審判が原告不知の間になされたことは前認定の事実からうかがわれるし、届出後原告は自己との縁組を知らずに数年を過し、これを知るや愛吉に苦情を述べたが、同人から迷惑はかけぬようにするとの応答があつてそのままにした前認定の経緯があり、愛吉の生前、特に前記昭和三六年四月一八日の集りの際などに、これを持ち出すことが容易でなかつたことは察するに難くないからである。

四、さて、原告一方の縁組意思を欠く本件縁組を養父愛吉との関係をも含めて全部無効とすべきか否かについて検討する。

民法七九五条は、夫婦は共同して養子縁組をなすべき旨を規定し、同法八〇二条一号は、当事者間に縁組をする意思がないときその縁組を無効としている。養親となる者が夫婦である場合、同条に言う当事者間とは、養父子および養母子の関係を個別的に言うのか一体として言うのかは、規定自体からみれば必ずしも明らかではない。そこで養親側の夫婦一方の縁組意思の欠缺により縁組全体を無効とすべきか否かについては、追つて民法七九五条にいわゆる夫婦共同縁組の共同性の要請の趣旨を、それが現代の養子制度として妥当する範囲にかかわらせて明らかにすることによつて、そこでの縁組の個数と効力の個別化の是非を考えなければならない。即ち、民法七九五条の右規定は、家族制度といわゆる家のための養子を基調とした改正前民法八四一条を受け継ぎながら、現行身分法全体が個人の尊厳と両性の本質的平等という理念に立ち、養子法がいわゆる子のための縁組に比重を移してきた歴史的経緯に鑑みれば、その本旨とするところが、夫婦間ないし家庭の平和の維持ということはもとよりとして、更に養子に両親を与えるのが望ましいとするにあることを容易に知り得べく、そこにまた現在なおその制度的価値が在するということができる。しかしその妥当範囲については、縁組後養親または養子が婚姻した場合に、配偶者につき縁組を要求しない現行法の建前や、縁組の解消にまでこれを強いることが実際上不合理を招来することからすると、夫婦の縁組共同性は、養親子関係により構成される家庭における絶対的要請でないことは、すでに明らかである。そしてこのことはまた、縁組をできるだけその当事者において個別的関係的に規整しようとする現代養子法の方向との関連において考えるならば、夫婦共同縁組と雖も各当事者それぞれについて別個の縁組行為があるとみて何らの差支えもなく、これを必ず一箇の縁組行為とみねばならぬ必然性は存しない。更にまた、前記の共同縁組の本旨とするところが最も強く要請されるべき未成年者との縁組の場合は、原則として、必ず縁組前に家庭裁判所の許可審判を受けねばならず、その審判書を添付しなければ、縁組届が受理されないという制度的保障が存在することが顧みられるべきである(民法七九八条、戸籍法三八条二項。なお、本件はそれにもかかわらず、原告の意思が見逃された場合であるが、その許可審判がなされた昭和二六年当時と昨今とでは、家庭裁判所の陣容も執務態勢も格段の差のあることはもはや顕著な事実というべく、縁組許可審判において、養子の福祉の観点から、実親及び養親夫婦の意思がよく確かめられることは、最低の実務要件といつてよい)。

以上によつてみれば、民法七九五条が縁組関係の存続ないし消滅についてまで一律に夫婦の共同性を要求していると解することはできず、むしろそれは、縁組成立にのみかかわりを持ち、且つ届出受理の要件にとどまると解して妨げないというべきである。従つて一旦届出が受理された以上は、万一そこに縁組意志の欠缺があつた場合でも、養親が夫婦であれば養親各自と養子とのそれぞれの間においてその効果を各別に定めるべく、一方が有効で他方が無効という結果も容認されることとなるのである。問題はしかし、右のような論理的帰結が、夫婦共同縁組の前記本来の趣旨に反する結果となるべきでないことは、民法七九五条に内在する当然の制約であるといわなければならないから、具体的な事件毎に、そのような観点から実質的にその当否を吟味することがなければならない。本件縁組の場合、右の論理の筋道に従えば、原告と被告との間では無効、愛吉と被告との間では有効という帰結に導かれるが故に、右の点の検討がなされなければならないのである。

そこで、先に認定したところに従つて、本件の特徴的な事実関係をみると、本件縁組は、愛吉と原告との婚姻共同生活の実体がすでに少なくとも一〇年間失なわれており、いわば事実上の離婚状態が形成されていた時期に届け出られたものであり、その後も右夫婦間の同棲的共同生活は回復しないまま、すでに愛吉は死亡してしまつたこと、愛吉としては、原告との離婚がない限り、事実上の妻政子との家庭において被告を養子とするには、事実上の養子にするのはともかく、法律上は政子のみの養子とするほかなく、愛吉と被告間の縁組については本件の形式をとる以外にはあり得なかつたこと、原告は被告が自己の養子とされることに抵抗を感じてその是正を訴えたものの、愛吉の養子とされることについては一貫して黙認してきたこと、被告は原告と生活を共にしたことはなく、本件縁組成立後、愛吉が死亡するまでの約一〇年間現実に愛吉の養子としてこれと生活を共にしてきたこと、愛吉には他に養子貞夫があるが、同人は愛吉と原告との別居以来養父たる愛吉とは生活を共にせず、原告と共同生活を続けており、本件についても原告とその利害を共通にしていること等の事実を挙げることができる。これらによつてみれば、本件縁組当時すでに愛吉と原告とは夫婦が円満な生活はおろか別居して実質的には離婚と変らない生活をしていたのであるから、夫婦ないし家庭の平和をうんぬんすることは無意味に近く、また養子たる被告に両親を与えることが望ましいという趣旨においても、その前提が缺けている事態に外ならず、むしろこの意味では、梅田政子を実質的な養母とみて愛吉との縁組を有効とすることが、右の趣旨によく適合しさえするのである。ひるがえつて原告としても、自己と被告との間の縁組が無効とされれば、たとい愛吉と被告との縁組が有効とされたとしても、何らその相続権や相続分を害されるものではなく、僅かに被告との間に姻族一親等の関係が残るのみといえるから、この程度のことは愛吉と被告との実質的養親子関係に徴してみても、原告の受認し得ない範囲とはいえない。またもとより原被告、愛吉間に複雑な氏や戸籍上の問題が起こる余地もない。このようにみてくると、家庭の平和ということを縁組当事者たる右三者間にのみ限定すべきでないとしても、考慮しなければならぬ最後のものは、養子貞夫の相続分に対する影響であろう。たしかに貞夫の相続分は愛吉の遺産の三分の二から三分の一に減少する。しかし前認定のような、愛吉と被告および貞夫とのそれぞれの間の実質的な親子関係の濃淡を考え、はたまた貞夫自身原告と同じく、愛吉の生前死後を通じて、被告が愛吉の実質的な養子であることを暗黙の前提としこそすれ、否認するような行動のうかがわれなかつたことに鑑みれば、その相続分に対する影響を以て家庭の平和の撹乱と考えるのは当らないというべきである。かくして、本件縁組において原告と被告とのそれを無効としながら、愛吉と被告とのそれを有効とすることは、決して前記夫婦共同縁組の本旨にもとるものではない。

以上に説示したとおり、愛吉および原告と被告との間の本件縁組は、当事者の一人である原告の縁組意思を缺くので、民法八〇二条一号により原被告間においては無効であるが、愛吉と被告との間においては遂にこれが無効を来たすべき所以を見出し得ないのである。

五、よつて、本件縁組の無効確認を求める原告の本訴請求は、原告と被告との間の縁組無効を認める限度で理由があるので認容し、その余を棄却することとし(ちなみに原告の自己と被告との間の請求においては人訴法二六条、二条一項、また愛吉および被告との間の請求においては同法二六条、二条二項に則り、いずれも当事者適格を缺くものではない)、訴訟費用の負担につき民訴法九二条本文、八九条を各適用した上、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高野耕一 裁判官 石田真 松本克己)

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